坊ちゃんvsテオ

太陽は今日も燦々と輝いていた。彼らはいつもと変わらぬ昼を迎えるはずだった。
だが、運命とは時に残酷な物である。この「運命」という縁は、一つの親子の絆を引き裂こうとしていた。
赤月帝国五将軍の一人テオ・マクドールがトラン湖に向かって進軍を開始したと解放軍に報が入ったのは数日前。解放軍は一度壊滅的打撃を受けているだけに、新兵器を用意するなど、周到に準備した上でテオと対峙した。
解放軍を率いるのはテオの息子。皇帝の絶大な信頼を受ける父と、身分を捨てて反旗を翻した息子。二人の一騎射ちが今、始まろうとしていた。
「・・・よもや、お前とこんな形で再会するとはな。」
赤月帝国の将軍である父親は、息子に向かって感慨深そうに言い放った。
「そうだね。でも父さん、それは僕が帝国に反旗を翻してからずっと覚悟してたはずでしょ。」
息子は毅然とした態度で父に言い放った。
「・・・あんなチビ助だったお前が、私の軍を圧倒するまでに成長したのか・・・。」
「僕一人の力じゃないさ。名将テオ・マクドールならそれくらいの事、分かると思うけど?」
「そうだな・・・。」
テオと護衛の視線の先には、帝国兵の屍、勝利に沸き上がる解放軍の姿があった。
「・・・父さん、やっぱり僕達は、戦わなきゃいけないのですか?」
「当たり前だ。お前は解放軍の頭領、私は帝国の将軍。これも運命というものだ。何れこうなる事は覚悟していたが、もうこの時が来るとはな・・・。」
「・・・。」
テオは下馬し、剣を抜いた。
「・・・逆賊マクドールに告ぐ!此度の戦、帝国軍の完全な敗北である事は認めよう!だが私は退かぬ・・・。最後にこの私を討ってみろ!!!」
テオの一騎討ちの申し込みだった。黙り込む息子をよそに、軍師マッシュ・シルバーバーグは珍しく激昂し、口調を荒くして言った。
「なっ!!何を言うか貴様!敗者たる貴様らを裁くのは勝者たる我らである!!大人しく縄を召されよ!」
「ならぬ!!!これは私の意地である!!!」
「私情で一騎討ちを申し込むとは、常勝将軍も堕ちたものだな!衛兵、こやつをひっ捕えろ!!!」
「待て!」
馬上から解放軍リーダーが一喝した。
「・・・武人として勝負したい、そういう事ですね?」
「そうだ。」
「・・・戦争って哀しいね、将軍。」
「・・・そんな感情はいらぬ。御決断を。」
「マクドール殿!」
「坊ちゃん!!!」
馬上でマクドールは目を閉じた。目の前にいるのは確かにテオ本人であるが、父親としてのテオではない。
彼はもう一度平和な日々が訪れ、家族でのんびりと暮らす事を願った。絶対に叶わない願いだと分かっていても・・・。
瞳から僅かに零れ落ちたものがあった。
「・・・解放軍リーダーとして、テオ殿の申し出、お受けいたす。覚悟召されよ。」
「忝い。」
「マクドール殿!!!」
叫ぶマッシュの肩を、ビクトールがぽんと叩いた。
「何です?」
「・・・見てやんなよ。テオは将軍として申し出たんじゃないんだ。」
「・・・どういう事です?」
「テオって男はな、父親として息子の成長を見届けるつもりなんだよ。」
「馬鹿な事を・・・。今は戦争中なのですよ。」
「だから、表向きは皇帝に仕える忠臣として逆賊を討つとしてるのさ。」
「・・・。つまり、私が何と言おうと無駄であると、ビクトール殿、そう言いたいのですね。」
「そういうことさ。それにな、これはあいつだけの問題じゃない。」
ビクトールはクレオ達を指差した。
「あいつらはテオ親子に忠誠を誓ってるんだ。あいつらにとっても辛い戦いなんだよ。」
テオは帝国兵に一切手出しをしないよう命じ、マクドールもまた、剣を収めて天牙棍を握りしめた。
父と子の最初で最後の対決が始まろうとしていた。風は収まり、全ての音が消えた。天ですら二人の対決を邪魔する事を許されなかったのである。
「いくぞ、逆賊!」
「来い!!!」
父が剣を突き出した。息子は棍でそれを受け止め、時折反撃を加えた。だが親子共に武術の達人、ダメージを食らわすどころか、掠り傷を負わす事すら困難だった。
「・・・少しは鍛えたようだな。だがこれはどうだ?」
 
「・・・。」
 
テオは先程と同じ攻撃を繰り返すが、最後まで斬りつけようとせず、途中で剣の動きを止め、隙を突いて頭上目掛けて剣を振り下ろした。
マクドールの髪が数本舞い上がり、地に落ちた。同時に、こめかみから僅かに血が流れた。
「・・・・・。」
「動きが鈍ったか?」
テオは三度フェイントで剣を振りかざした。左の頬から血が垂れた。
「どうした、逆賊!」
「・・・・・。」
テオがまたも動こうとした時、マクドールはその小柄な体系と機動力を活かし、テオの横に回りこみ、棍を振り下ろした。テオの表情が一瞬歪んだ。
息子はその隙を逃さず、両足、右腕、胸を連続して攻撃、だが名将テオも何もしないわけではなく、攻撃を受けながら左手と顔を斬った。
「坊ちゃんがあんなに・・・。」
「やはりテオ様は強い。強いが・・・。」
 
「ああ、次第に押されてきている。」
「なあクレオ、やっぱり坊ちゃんは・・・・・。」
「討つだろうね、テオ様を。」
「・・・複雑だな。」
「そうだね・・・。」
その後何度も何度も鍔迫り合い、打ち合いが繰り返された。
決着はなかなかつかなかった。神のみぞ知る、と言われるが、この戦いは神ですら結果を知らぬのではないだろうか。誰もがそう思った。
だが、時は訪れた。何て事は無い、ただの一撃、それがテオの胸にあたり、テオは血を吐いた。
 
「・・・肋骨が折れたかな。」
「それだけでは、ないようだな・・・・・。」
 
百戦連勝、常勝将軍は初めての敗北を喫した。最初で最後の敗北だった。相手は自分の息子だった。
テオの全てが終わった時だった。テオが倒れ、砂塵が舞うと共に、風が再び吹き始めた。
テオは全ての力を使いきっていた。真っ白に燃え尽きたという表現があっていた。
解放軍リーダーは武器を収め、息子として父親に駆け寄り、敵だった元部下もそれに続いた。
 
「・・・・・父さん。」
「ふふふ・・・・・、息子よ・・・お前は、最後の最後でこの私を超えたな・・・・・・。」
「テオ様!喋らないで下さい!」
 
クレオとパーンはテオを介抱した。だがテオの出血は止まる事は無く、テオ自身、己の最期を悟っていた。
元々死ぬ気で挑んだ。そして敵の大将である息子の手によって討たれた。父親として、将軍として、テオには何一つ悔いは残っていなかった。
 
「すまないなクレオ・・・・。私はもう終わりだよ・・・・・。」
「テオ様、弱音を吐くなどテオ様らしくありません!しっかりなさって下さい!!!」
「いや、弱音じゃない・・・・・。私は満足なのだ・・・・・。将軍として、父と・・・・ゲホッ!!」
「テオ様!」
 
現在の部下であるアレンとグレンシールが衛生兵を呼ぼうとした。だが、テオはそれを静止し、一歩も動かぬよう命じた。
 
「・・・・・父さん、ソニアさんを置いていく気ですか?」
「ソニアか・・・、悪い事をしたな・・・。あれにも、お前にも・・・・・。」
「僕を置いていく気ですか?」
「お前はもう一人前だ・・・・・。それは誰よりも・・・親である私が・・・一番分かる・・・・・。」
「・・・。何言ってるのさ。いつ僕が父さんを超えたのさ。僕は今でも世間知らずのボンボンだよ。」
「それは違う・・・・・。皆がお前に・・・・ついて来ている・・・、それが、お前が成長した・・・・証だ・・・。」
「・・・・・変な事言わないでよ。テッドにグレミオがいなくなってどれだけ寂しかったと思ってるのさ・・・・・。父さんまでいなくなったら、僕は・・・・・。」
「クレオとパーンが・・・・いるだろう?」
「・・・・・それは、そうだけど・・・・・。」
「・・・・・いつまでも・・・・・子供で・・・・・いるわけ・・・・・じゃない・・・・・。」
 
テオの鼓動が段々小さくなっていった。
死が間も無くやって来るのは誰の目にも明らかだった。
 
「・・・クレオ、パーン・・・。」
「はい。」
「はっ。」
「お前達は・・・・・息子を、頼む・・・・・。」
「承知しました。」
「はい。」
「アレン、グレンシール・・・・・。」
「はっ。」
「ははっ。」
「これからは・・・・・息子に仕えよ・・・・・主として最後の・・・・・命である・・・・・。」
「承知。」
「アレンと同じく。」
 
テオは息子の手をそっと握った。
 
「・・・・・泣くな。いつかは・・・・・別れの時が・・・・・来るのだ・・・・・。」
「父さん・・・・・。」
「そろそろ・・・・・母さんとグレミオの・・・・・所に・・・・・行くか・・・・・。」
「そんな・・・・・。」
 
ソウルイーターが黒光りを始めた。
 
「大きくなったな・・・・・私は・・・・・嬉しかった・・・・・。」
「・・・。」
「・・・・・さらばだ、息子よ・・・・・。あの世で母さんと・・・・・会ってくるさ・・・・・。」
 
息子の手を握っていた父の手が地に落ちた。
 
「テオ様・・・・・。」
「テオ様、そんな・・・・・テオ様!!!」
 
常勝将軍の死に顔には笑みが浮かんでいた。
テオは赤月帝国の将軍としてではなく、立派に成長した息子を見届けた父として世を去って行った。
 
「・・・・・嘘だろ?ねえ、起きてよ父さん・・・・・。僕を置いていかないでくれよ・・・・・。父さん、ねえ・・・・ねえ!父さん!!!」
「・・・・・坊ちゃん、テオ様は・・・・・嬉しそうに世を去られました・・・・・。貴方の成長を喜んでおられたのですよ・・・・・。」
「父さん!!!」
 
息子は声にもならない悲痛な叫びを上げた。
だが、辛うじて冷静さを保っていたクレオがマクドールを諭した。
 
「坊ちゃん・・・・・。お気持ちはお察し致しますが、貴方は解放軍リーダー、軍をまとめ、城へ退きましょう。テオ様の死を悲しむのはそれからです。」
「・・・・・、クレオ、僕には泣く事も許されないのかい・・・・・?」
「残念ながら・・・。お嘆きになるのはお部屋に戻られてからに・・・。」
 
しばしの沈黙の後、リーダーに戻ったマクドールは、マッシュに指示を与えた。
 
「・・・・・。軍師。」
「はい。」
「全軍退却の命を・・・・・。指揮権は貴方に委ねる。」
「承知しました。」
 
城に戻った解放軍は勝利の余韻に浸っていた。
常勝将軍にして皇帝バルバロッサ・ルーグナーの信頼最も篤い男テオ・マクドールを失った赤月帝国の内部崩壊が目に見えているからである。
しかし、どうしても余韻に浸れない者達がいた。
 
「・・・・・テオ様。」
「パーン・・・・・、飲もうか。」
「ああ・・・・・。」
 
マクドールは階段を上り、自室へ通じる廊下を歩いていた。
部屋に戻るまではクレオの言いつけを守り、泣き顔を見せまいと必死に悲しみを堪えながら。
 
「・・・あの、マクドール様。」
「・・・?」
 
マクドールは何事も無かったかのように振り向くと、そこにはテオによって自身の出身地であるロッカクの里を焼かれた弱冠16歳のくノ一カスミの姿があった。
 
「あの・・・お辛いとは思いますが・・・。」
「ああ、仲間の仇は討ったよ。」
「いえ、それは・・・。」
「・・・で、何か用?」
「はい・・・、マッシュ様の言い付けにより、マクドール様の部屋の護衛を・・・。」
「・・・・・そう。・・・・・頼みがある。10分間だけ、部屋から離れて欲しいんだ・・・・・。」
「え?」
「お願いだから・・・。一人にさせて・・・・・。クレオとパーンも同じ心境だから・・・・・彼らにも近付かないで。10分だけでいいから・・・・・。」
「・・・・・はい。主命とあらば・・・。」
 
カスミはそれ以上何も言えなかった。
彼女が憧れる、普段の明るいマクドールの表情は何処にも無かった。笑顔のよく似合う、活発な少年は、自分の前に立っていなかった。
マクドールは部屋に戻るとドアの鍵をかけ、ベッドに潜り込んだまま嗚咽していた。
リーダーとなった今、彼に人前で泣く事は許されなかった。それでもどうしても感情を爆発させたかった。
だから10分間だけ、息子に戻る事を頼んだ。
クレオとパーンも、二人で飲みながらテオの事だけを考えていた。
 
太陽が地平線から姿を現してから、時間が経った。
太陽が昇り始めた時、200年以上赤く輝く月は沈み始めた。そして日が更に昇った時、月と共に輝いていた最も明るい星が消えた。
 
赤月の本格的な崩壊が、解放軍という名の太陽によって始められた。